なんでも世の中には、「保守自由主義」(Conservative liberalism)と「自由保守主義」(Liberal conservatism)が存在するそうです。
これは、上記リンクが分かれているように、阿藤快と加藤あいが別人なのと同じく(?)別個のものだそうで、思いっきりざっくりと示すと、
保守自由主義:自由主義者が「伝統も大事だよね」と考える事。
自由保守主義:保守主義者が「自由も必要だよね」と考える事。
というニュアンスのよう。特にヨーロッパではけっこう意識されるみたいですが、保守的自由主義が「中道右派〜中道寄り」で、自由保守主義が「伝統的右派〜中道右派」とどちらも「中道」と言ってるので、ニュアンスが微妙すぎて余計にわからなくなる(笑)。
ただ思うのですが、今どき絶対王政かアナキズムの信奉者でもなければ、ブレンド比率の違いさえあれ「伝統も自由も大事だよね」なんて感覚は一般的なものだと思います。
一番大事なのは、「伝統」と呼ばれるものが因習化していないかを見極められるバランス感覚を持って、漸進的なアップデートができるか、という面と(保守の要件)
いま享受している、または希求している自由が何に立脚しているか見極めるバランス感覚を持って、野放図な身勝手による混乱ではなく秩序を導き出せるか(リベラルの要件)
上の「要件」は私の認識を言語化したものですが、これが
「実は歴史さえ長くない因習を伝統と頑なに信じ、劣等感や差別心を隠匿するようにヘイトを撒き散らして混乱を招き続ける」という最悪のコンフィグレーションが、政治家から匿名のネトウヨまで山ほど存在していますよね。
「保守自由主義」と「自由保守主義」の違いは、自分としては「カレーライス」と「ライスカレー」ぐらいのものだと思います(あれ…詳しくないけど、もしかしてこの順番にもややこしい諍いとかある?(笑))
多少のスタンスや方法論の違いはあっても、「個と公」の関係性のイメージが近ければ、議論から有意義なものが生まれていく希望があると、私はまだ思っています。
「最悪のコンフィグレーション」一帯は、シカさんがどうしたみたいな愚劣極まる騒動なんかを発端に、余計に「社会の隔離病棟」に追い込まれると思うので、幾許かの根気や警戒、そして思考を絶やさない姿勢をキープすれば、意外なほど早期に「生産的なフェーズ」が訪れると、基本的に楽観主義者である私は思っています。





















